塩俵岩
立岩・矢除神社
 塩俵を積み重ねたような特異な形状のこの岩は、玄武岩脈の一塊でよく発達した層状節理と、これに直角に発達した五角形または六角形の柱状節理とが交互に交差してできたものである。大自然がつくり上げた芸術品のよう。
塩俵岩
 出羽・越後の国境として重要な役割を果たしていた関所址。今から1,300年前、蝦夷防衛のための前線基地でした。その頃は、現在の県境付近にあったことが発掘調査で確認されています。江戸時代は「鼠ヶ関番所」と呼ばれ、庄内に酒井氏が入部された元和8年(1622)以後に整備されたといわれる。
 大正13年頃、江戸時代の関所が「史跡念珠関址」として国指定史跡に認定されたが、発掘調査により「古代鼠ヶ関址」の存在が確認されたため、この地の関所を「近世念珠関址」と称することとなった。
念珠関址
 国道7号線「おばこおけさライン」を通ると海に直立した堂々たる奇岩に目をみはる。高さ51mの立岩である。頂上に天然記念物のマルバシャリンバイや常緑樹が密生し、殊に、日本海に沈む夕日に映えた立岩の美しさは海岸随一である。
 古川古松軒は「東遊雑記」に次のように記している。「暮坪村というあり。この海上に世に名高き鉾立岩と称するあり。高さ18丈鉾を立てたる如し。小松少々生ぜり。麓に岩石の平らかな所あり。藁葺の小祠ありて矢除神社と称す。実に海内の奇石というべし。」
 麓の矢除神社とは珍しい社名で庄内でもここにしかない。景行天皇20年(紀元20)に武内宿彌(たけのうちのすくね)が東北の蝦夷征討に暮坪までやってくると待ち構えていた敵が宿彌一行に矢を放ったが、とっさに岩陰に身を隠して矢を除けた。ゆえに立岩は「楯岩」であったといわれ、はね返った矢は集落南方を流れる川に落ちて流れたといい、この川を矢流川という。
 この戦闘には暮坪の村人も宿彌側に味方して参戦し敵を打ち破った。戦いがちょうど晦日から正月にかかり、とても門松を立てる余裕などなかったという訳で、暮坪では先祖の苦労を思い今でも門松を立てない。また、神社境内に約100kgと約80kgの2つの力石がある。昔から暮坪の若者達がこの力石を持ち上げて力だめしをしていたもので、腹につけず腰の高さまで持ち上げれば怪力としこれを目指した。
立岩・矢除神社
 「あつみ山や 吹浦かけて ゆふ涼み」
 奥の細道の紀行記は、象潟から帰っての酒田に滞在中を省略し、酒田を出発してからの九日間はわずか数行に止めている。この間に少し「鼠ヶ関」の地名があるばかりである。時は真夏、天候不順で海の色は蒼黒かったであろうが、風は涼しく、旅には適した日々ではなかったろうか。
 この句碑は、塩俵岩の東端にあり海を背にそそり立っている。奥の細道保存会と旧温海町が昭和42年8月に建立したもので、芭蕉が宿泊した温海の鈴木惣左エ門の子孫にあたる鈴木礼子さんが除幕の紐を引いた。
 周辺はスカシユリの群生地となっている。紺碧の日本海と周辺の岩肌に映える橙色のスカシユリの花の美しいコントラストもみられる。(花期は6月〜8月)
芭蕉句碑
 芭蕉は元禄2年(1689)6月26日、浜温海の鈴木所左ェ門(鈴木惣左ェ門)方に宿をとっている。
 曽良によれば温海では鈴木所左衛門宅に泊まったとあるが、所左衛門とは曽良の聞き違いで本当は惣左衛門と称す温海の旧家であったという。芭蕉は翌日曽良と別れて馬車に乗り温海を発ち、弁天島を右手に鼠ヶ関を通過し、一方曽良はここ湯温海を訪ねてから芭蕉の後を追ったのである。曽良は次のように記している。
 「二十七日、雨止温海立、翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関ヘ被趣、予ハ湯本ヘ立寄見物シテ行。半道計山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及レ暮中村ニ宿ス。」
芭蕉宿泊の家
 日本海に沈む美しい夕陽を望む展望所が設けられています。奥の細道の行脚で芭蕉がここ温海を訪れたことから「芭蕉公園」と呼ばれ、芭蕉の句が掲示されています。
 粟島の眺望や、天候が良い日には遠く佐渡島を望むこともできます。夕陽に照らされる温海の家並み、山並み・・・芭蕉気分で一句いかがですか。
芭蕉公園
元禄2年(1689)春、門人曽良を連れて奥の細道の旅に出た俳聖松尾芭蕉は、6月半ば象潟から酒田を経て26日に温海に一泊、27日27日鼠ヶ関を通って越後に去った。曽良によれば温海では鈴木所左衛門宅に泊まったとあるが、所左衛門とは曽良の聞き違いで本当は惣左衛門と称す温海の旧家であったという。芭蕉は翌日曽良と別れて馬車に乗り温海を発ち、弁天島を右手に鼠ヶ関を通過し、一方曽良はここ湯温海を訪ねてから芭蕉の後を追ったのである。曽良は次のように記している。
 「二十七日、雨止温海立、翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関ヘ被趣、予ハ湯本ヘ立寄見物シテ行。半道計山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及レ暮中村ニ宿ス。」
芭蕉供養碑
 見どころ紹介                           
徒歩3分
車で10分
車で3分
車で5分
鼠ヶ関
暮坪
温海 不動岩
温海 鈴木惣左エ門宅
あつみ温泉 熊野神社内
元禄2年春、門人・河合曽良を伴って奥の細道の行脚に出た、俳聖・松尾芭蕉。6月半ばに象潟から酒田を経て26日温海に一泊、27日に鼠ヶ関を通って越後に去ったといわれます。一行の足跡をたどってみましょう。
1〜2時間
歴史探訪ドライブコース
奥の細道 芭蕉に思いをはせて・・・

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