海に向かって建つJR鼠ヶ関駅の駅舎は、鼠ヶ関のシンボルであるヨットの形。列車を降りると爽やかな潮風を感じることができます。
 駅舎前には灯台のモニュメントも建つ鼠ヶ関駅は、日本海側の山形県への玄関口です。
 新潟県との県境に立地するため、当駅どまり・当駅始発の列車が複数設定されています。
 今から約400年前、元村上屋旅館・佐藤茂右ェ門が盆栽の松を庭に地植えし、これを代々庭師に手入れさせ、つくり上げた黒松。
平成6年に世界的に有名な造園家・中島健氏の設計により現在の庭園が完成し、住民や観光客の憩いの場になっています。
 主幹の高さ4.2m目通り幹囲1.2mで東北方と西南方に出る支幹は一直線をなし、東北方にのびている枝の基部周囲は1.3mで本幹よりも発育し7mほど地を這い、それから斜上にして高さ3mの支柱で支えられている。全長は20mにも及ぶ。この松は他の臥龍松のように匍匐幹が屈曲しないで直線状に僅かに斜上しているところに特色がある。昭和30年8月に県の天然記念物に指定された。
 
 曹源寺の後庭にあり、ツバキ科の植物で南北に相対して二株植えられている巨木です。一方の株は根周り1.9m高さ4m、根際は合着しているが3本立。一方の株も根際は2m、まもなく2株に分かれ高さ4mである。昭和28年2月に県指定の天然記念物となった。
 今から400年程前の慶長4年(1599)佐渡の金比山僧侶、峯庵禅師が諸国巡礼に向かう折、強風にあい遭難し念珠ヶ浜に漂着した。傷ついた体を曹源寺に休め、村人の温かい看護によって快癒し、再び巡礼の途にのぼる時に感謝の気持ちをもって手植えしたものと伝えられる。当時の住職弘禅禅師が以後寺宝として伝え、今に至ったという。
 戊辰戦争時、弁天島沖の日本海から撃たれた砲弾が高台に建つ瑞芳院を襲ったが、境内のケヤキの木の幹にめり込み、寺への直撃を防いだとされている。その砲弾が今も寺に保管されている。
 出羽・越後の国境として重要な役割を果たしていた関所址。今から1,300年前、蝦夷防衛のための前線基地でした。その頃は、現在の県境付近にあったことが発掘調査で確認されています。江戸時代は「鼠ヶ関番所」と呼ばれ、庄内に酒井氏が入部された元和8年(1622)以後に整備されたといわれる。
 大正13年頃、江戸時代の関所が「史跡念珠関址」として国指定史跡に認定されたが、発掘調査により「古代鼠ヶ関址」の存在が確認されたため、この地の関所を「近世念珠関址」と称することとなった。
 鼠ヶ関のシンボルであり美しい夕陽スポットとしても知られる弁天島は、昔は鼠ヶ関の沖積地から西に、あたかも数珠を直線に横たえた様に飛石づたいに弁天島に達したというが、港湾工事の進捗と共に埋め立てられ今の状態になった。
 樹齢数百年の自然松が島を覆い、西側に灯台がありその景勝は多くの人に親しまれてきた。東側には厳島神社がある。歴代の藩主もあつみ温泉入湯中にここを訪ね、その絶景を賞したといわれ古川古松軒の東遊雑記にもその景勝を特記している。
「鼠ヶ関の弁天島は普く世に知れたる勝景なり。地方離るること五丁余、人の功を以てならべしが如く自然なる岩は飛石となりて弁天の堂ある島に至る。前後雅なる巌競立ち其風景筆に尽し難し・・・」
 弁財天の現存する縁起「出羽荘内名所旧蹟伝来記」によると、
 田川郡鼠ヶ関御鎮座当社出現の由来を古老伝しハ、人王六十六代一条院の御字正暦年中三月中旬の頃、よるよる海中に奇瑞の光明やむ時なし。在所の者共大網をおろし引き上げ見るに、小坐像御丈五寸の弁才天にまします。人々悦び宮殿を建、所の氏神を崇拝する。
とある。
 弁財天は元来仏典に出てくるもので、弁才天が正しいという。弁才天は大弁才功徳天、美音天、妙音天ともいい、弁天あるいは天女ともいう。明治2年10月に厳島神社と改め祭神は安芸の厳島神社から勧請、明治9年村社に列する。
 例大祭は4月15日で「鼠ヶ関の神輿流し」が行われる。
 厳島神社境内にあるこの碑は昭和41年テレビドラマ「源義経」の放映により義経に対する関心が殊の外高まり、これを受け鼠ヶ関では、兄頼朝を逃れ、京から奥州平泉に向かう義経が日本海を舟で渡り、上陸したことを紹介したものです。
 鼠ヶ関マリーナの道路向かいにあり、昭和61年、直木賞作家でテレビドラマ「源義経」原作者・故村上元三氏の筆によって書かれた石碑です。
 当時、建立を記念して村上氏による記念講演が行われ、村上氏は調査の結果、鼠ヶ関が義経上陸の地であることを確信したとお話しされています。
 昭和43年10月に発掘調査が実施され、この場所で、古代須恵器平窯址、製鉄址、土器製塩址、千鳥走行型柵列址が発見された。
 平窯址は半地下式に50pの炊口を設け燃焼室との境には漬物石大の川原石を積み重ねてある。製品を取り出す時、天井と煙道の一部を破壊するので赤く焼けた石が落込んでおり、火気による変質があり製品からでた自然釉も付着していた。付近から出土するものは全部が須恵器の破片で平窯であることが明らかであった。
 製鉄址は、砂丘の上に円型粘土鉢を置き、そこから溝を伝って溶融物が外側に流れるようになっている。その反対側に換気装置の穴が設けられ煤が充満している。これらのものはその出土物から大体10世紀から11世紀前半と推測された。
 土器製塩址は製鉄址のすぐ傍で発見された。これは日本海沿岸における古代製塩構の北限として注目され、出土品から9世紀から10世紀頃のものと推定された。
 千鳥走行型柵列址は1m近い国鉄の廃炭の堆積物の下20pから須恵器甕、土師器杯などの破片があり建物含有層の下に掘立式の丸柱址が発見された。これは11世紀末のものと推定され、この発掘はわが国最初のもので「鼠ヶ関址」と考えられ、学界の注目を集めた。
 以上の4つの遺跡は、平安中期から後期に属するものであるが、それらが有機的に関連性を持つものだとするならば、鼠ヶ関が強力な軍事的、警察的関所であったことが明らかであると共に、関役を従属させて生産をも行い、自活的経済基盤を備えていたことが想像されるものである。
 
 鼠ヶ関は新潟県村上市(旧山北町)との県境に位置し、全国的にも珍しいという、集落の真ん中に県境を示す石碑が建っている。山形県と新潟県を行ったり来たり・・・!
 県境を訪れた記念を刻印できるスタンプも準備されています。
念珠の松庭園
曹源寺のヒサカキ
瑞芳院の砲弾
近世念珠関址
弁天島
厳島神社
義経ゆかりの浜碑
義経上陸の地碑
古代鼠ヶ関址同関戸生産遺跡
県境碑
鼠ヶ関駅
 見どころ紹介                           
徒歩10分
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徒歩5分
曹源寺のヒサカキ
義経ゆかりの浜碑 厳島神社 弁天島
県境碑 古代鼠ヶ関址
鼠ヶ関駅
瑞芳院の砲弾
近世念珠関所址
源義経上陸の地碑
念珠の松庭園
その昔、源義経一行が兄頼朝の追討を逃れて平泉に赴く際、最後の関門となったのが越後と出羽の国境、鼠ヶ関(念珠関)であったと伝えられています。義経ゆかりの地である鼠ヶ関を歴史探訪。潮風を感じながら気軽に歩いてまわれるコースです。
2〜3時間
歴史ロマンと県境の港町        散策コース
義経上陸の地 鼠ヶ関

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